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大学時代に、Apple Macintosh PowerBook 5300cを買って使っていた。ここでも国民機PC-9821ではない。Windows3.1は結局使ったことがない。個人的感覚ではWindows 8は先祖返りで、Windows 3.1のGUIとにている気がする。
インターネットを最初に触れたのは1995年で、NTTでテレホーダイという夢のサービス?が始まるのがきっかけだった。
当時プロバイダーといえば、月額2000円近かったのだが、京都は恵まれていて、立ち上げ当時は京都市の第三セクターであった京都アイネットが月500円で利用できるということで、申し込み用紙を中京区役所でもらってきて申し込んだ。家族のメールアカウントも取ったので、結局月1000円になっていたけど、まあご愛嬌だ。
通信媒体はSONYの288モデム。回線が1階にあって、自分は3階の部屋だったので、劣化 して速度低下するのは承知の上で20mの電話ケーブルを毎日テレホーダイ時間だけつないでた。このころのインターネットはこつがあって、テレホーダイ時間 始まる少し前、10時58分ごろからダイアルアップすることで、何とか朝8時まで安泰に利用ができるのであった。
で、インターネットをするために、一番肝心なウェブサーフィンをするには、ブラウザーというのが必要とのことで、ネットスケープが必要だった。当然オフラインで使う用でしかなかった、当時のMacintoshには、ブラウザーは入っていないため、入手する必要がある。ネットが繋がっているだけなので、何とかしてソフトを手に入れなければならない。ブラウザーは当時店頭で買うのもだったのだ。京都寺町のJ&Pに急遽買いに走り、ネットスケープ1.0を買ってきた。当時はブラウザーは、付いてるものでも、ネットで入手するものでもなかったのだ。ネットスケープの2.0位までは店頭で購入したのを覚えている。Interenet Explorer 1.0が出てきてブラウザー戦争が始まり、無料で配布されるものに変わっていた。
このNetscapeとMicrosoftのブラウザー戦争、そして、iMacでヒットしたAppleとWindows 95で世界標準機となったMicrosoftのコンピュータOS戦争が、ホームページを作る技術者(デザイナー・コーダー)にジレンマを与えることとなっていく。
大学の各研究室でインターネットが使えるようになったのは1995年から1996年にかけてで、ちょうど配属になった研究室の助手の先生が、普及担当で、学科内の先生や研究室のパソコンをインターネットに繋ぐべく、 通信端末が非標準だったため、Ethernetボードを付けたり、設定をしたりと飛び回っていた。
また、ホームページを作るということに興味を覚え、京都アイネットにも個人ページを作ったが、大学の学科のページを作れないかと先生に懇願し、お払い箱になっていたApple Macintosh Quadra 700を入手し、これにDNSサーバであるQuickDNS Pro、メールサーバであるEudora Internet Mail Server、そしてWebサーバであるWebSTARを導入し、インターネットの情報を見ながら構築した。
のちに、QuickDNSやEudora Internet Mail Serverは自宅サーバでもお世話になっている。
このころエヴァンゲリオンというアニメがが映画をするということで再度 盛り上がっていて、48時間ぶっ通しチャットをして、最後、痙攣をしながら寝たのを覚えている。エヴァンゲリオンのファンはパソコンに詳しいものが多かっ たせいか、チャットのソフトを作ったり、チューニングしたりするつわものたちとも知り合いになった。オフ会にもいって映画の話やパソコンの話をしても盛り 上がってた。
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インターネット自体は、パソコンの書籍にあるように、アメリカの国防省と大学などの研究機関が中心となって1960年代からの歴史である。まだまだ誕生して若い通信形式である。来たるべき核戦争の際に寸断されていくネットワークでも通信が確保できるようにというのが概念で、いつでもきちんとつながるネットワークではなく、障害が発生したときに何とかつながりを保つネットワークというような概念である。
インターネットというのは100%繋がるネットワークでないし、パケット単位では届かなくて廃棄されることも想定されている。ようは繋がらないかもしれない、届かないかもしれないネットワークである。日本人の潔癖さから考えがつかない方法だと思うである。コンピュータにもそんなところがあって、多分(50%)ということの方が多いのだが、よく聞く言葉はこれで大丈夫か(100%)である。文化が違う人たちが作ったものを日本語化して表示しているだけなので、日本人は英語に疎いようにコンピュータに疎いのだと思う。
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私がコンピュータを初めて触ったのは、中学生で、富士通のFM7やFM8が最初であった。家にはゲーム機もパソコンもなかったので、そのFM8でF-BASICを使って線絵を書くのがとっても楽しかったのを覚えている。
その後は高校時代に、X68000を購入してもらい、ソフトバンクのOh!Xを見ながら、アッセンブラ、マシン語、果ては16進数直打ちなどという、今では考えられない入力を経験した。16進数直打ちはちょうど紙媒体でパソコン通信をしているようなものである。16進数を打ち終わると圧縮ファイル(ZIPファイル)の出来上がりである。それを解凍をするとまた開発ソフトやドライバーが手に入るという寸法だ。この経験で、大戦略の兵器データを印刷して、パラメータの配列を解読し、書き換えて最強軍団を作って遊んでいた。戦闘機をなぎ倒す歩兵の機関銃とか。戦闘機よりもたくさんのヘックスを移動できる歩兵とか。ゲームをすることよりも、人が作ったものを勝手に作りかえれることがとても面白い経験だった。
Oh!Xは、NECのPC-98系の雑誌違い、本の3分の1程度のページを割いてプログラムが載っていた。アッセンブラ、マシン語、果ては16進数直打ちのほか、X-BASICやC言語などが掲載されていた。バックナンバーなども取り寄せ、掲載されていたものは一通り打ち込んだと思う。X-BASICを使った音楽もよかった。キューピー3分クッキングやYMOのライディーンは打ち込んだものを、よく再生していた。自分で楽譜を買ってきてX-BASICで打ち込んだこともある。世の中にMIDIというのがあってきれいな音がでるだとか夢のような話があったが、さすがに財布は空っぽで手に入れることはなかった。
X68000も大学のころになると下火になり、X-BASICがNECのPC-9801などの国民機で使っていたN-BASICと少し書式が違ったので、N-BASICの本を見ながら、X-BASIC用に書き換えて動かすが楽しかった。
とにかくパソコンの基礎は、本当に高い買い物あったが、シャープのテレビ事業部が作ったX68000「夢の続きを語ろうよ」によって培われた。PC-9801を買っていたら多分ここまで面白く感じることはなかっただろうと思う。