Joomlaでホームページ制作

joomla以外にも多くのCMS(コンテンツマネージメントシステム)があるが、2005年9月に誕生して以来、いまでは、joomlaを入れていないホームページ制作は行っていない。joomlaがbestなわけではないが、ほかのCMSよりもbetterな選択肢である。

私がコンピュータを初めて触ったのは、中学生で、富士通のFM7やFM8が最初であった。家にはゲーム機もパソコンもなかったので、そのFM8でF-BASICを使って線絵を書くのがとっても楽しかったのを覚えている。

その後は高校時代に、X68000を購入してもらい、ソフトバンクのOh!Xを見ながら、アッセンブラ、マシン語、果ては16進数直打ちなどという、今では考えられない入力を経験した。16進数直打ちはちょうど紙媒体でパソコン通信をしているようなものである。16進数を打ち終わると圧縮ファイル(ZIPファイル)の出来上がりである。それを解凍をするとまた開発ソフトやドライバーが手に入るという寸法だ。この経験で、大戦略の兵器データを印刷して、パラメータの配列を解読し、書き換えて最強軍団を作って遊んでいた。戦闘機をなぎ倒す歩兵の機関銃とか。戦闘機よりもたくさんのヘックスを移動できる歩兵とか。ゲームをすることよりも、人が作ったものを勝手に作りかえれることがとても面白い経験だった。

Oh!Xは、NECのPC-98系の雑誌違い、本の3分の1程度のページを割いてプログラムが載っていた。アッセンブラ、マシン語、果ては16進数直打ちのほか、X-BASICやC言語などが掲載されていた。バックナンバーなども取り寄せ、掲載されていたものは一通り打ち込んだと思う。X-BASICを使った音楽もよかった。キューピー3分クッキングやYMOのライディーンは打ち込んだものを、よく再生していた。自分で楽譜を買ってきてX-BASICで打ち込んだこともある。世の中にMIDIというのがあってきれいな音がでるだとか夢のような話があったが、さすがに財布は空っぽで手に入れることはなかった。

X68000も大学のころになると下火になり、X-BASICがNECのPC-9801などの国民機で使っていたN-BASICと少し書式が違ったので、N-BASICの本を見ながら、X-BASIC用に書き換えて動かすが楽しかった。

とにかくパソコンの基礎は、本当に高い買い物あったが、シャープのテレビ事業部が作ったX68000「夢の続きを語ろうよ」によって培われた。PC-9801を買っていたら多分ここまで面白く感じることはなかっただろうと思う。

インターネット自体は、パソコンの書籍にあるように、アメリカの国防省と大学などの研究機関が中心となって1960年代からの歴史である。まだまだ誕生して若い通信形式である。来たるべき核戦争の際に寸断されていくネットワークでも通信が確保できるようにというのが概念で、いつでもきちんとつながるネットワークではなく、障害が発生したときに何とかつながりを保つネットワークというような概念である。

インターネットというのは100%繋がるネットワークでないし、パケット単位では届かなくて廃棄されることも想定されている。ようは繋がらないかもしれない、届かないかもしれないネットワークである。日本人の潔癖さから考えがつかない方法だと思うである。コンピュータにもそんなところがあって、多分(50%)ということの方が多いのだが、よく聞く言葉はこれで大丈夫か(100%)である。文化が違う人たちが作ったものを日本語化して表示しているだけなので、日本人は英語に疎いようにコンピュータに疎いのだと思う。

大学時代に、Apple Macintosh PowerBook 5300cを買って使っていた。ここでも国民機PC-9821ではない。Windows3.1は結局使ったことがない。個人的感覚ではWindows 8は先祖返りで、Windows 3.1のGUIとにている気がする。

インターネットを最初に触れたのは1995年で、NTTでテレホーダイという夢のサービス?が始まるのがきっかけだった。

当時プロバイダーといえば、月額2000円近かったのだが、京都は恵まれていて、立ち上げ当時は京都市の第三セクターであった京都アイネットが月500円で利用できるということで、申し込み用紙を中京区役所でもらってきて申し込んだ。家族のメールアカウントも取ったので、結局月1000円になっていたけど、まあご愛嬌だ。

通信媒体はSONYの288モデム。回線が1階にあって、自分は3階の部屋だったので、劣化 して速度低下するのは承知の上で20mの電話ケーブルを毎日テレホーダイ時間だけつないでた。このころのインターネットはこつがあって、テレホーダイ時間 始まる少し前、10時58分ごろからダイアルアップすることで、何とか朝8時まで安泰に利用ができるのであった。

で、インターネットをするために、一番肝心なウェブサーフィンをするには、ブラウザーというのが必要とのことで、ネットスケープが必要だった。当然オフラインで使う用でしかなかった、当時のMacintoshには、ブラウザーは入っていないため、入手する必要がある。ネットが繋がっているだけなので、何とかしてソフトを手に入れなければならない。ブラウザーは当時店頭で買うのもだったのだ。京都寺町のJ&Pに急遽買いに走り、ネットスケープ1.0を買ってきた。当時はブラウザーは、付いてるものでも、ネットで入手するものでもなかったのだ。ネットスケープの2.0位までは店頭で購入したのを覚えている。Interenet Explorer 1.0が出てきてブラウザー戦争が始まり、無料で配布されるものに変わっていた。

このNetscapeとMicrosoftのブラウザー戦争、そして、iMacでヒットしたAppleとWindows 95で世界標準機となったMicrosoftのコンピュータOS戦争が、ホームページを作る技術者(デザイナー・コーダー)にジレンマを与えることとなっていく。

大学の各研究室でインターネットが使えるようになったのは1995年から1996年にかけてで、ちょうど配属になった研究室の助手の先生が、普及担当で、学科内の先生や研究室のパソコンをインターネットに繋ぐべく、 通信端末が非標準だったため、Ethernetボードを付けたり、設定をしたりと飛び回っていた。

また、ホームページを作るということに興味を覚え、京都アイネットにも個人ページを作ったが、大学の学科のページを作れないかと先生に懇願し、お払い箱になっていたApple Macintosh Quadra 700を入手し、これにDNSサーバであるQuickDNS Pro、メールサーバであるEudora Internet Mail Server、そしてWebサーバであるWebSTARを導入し、インターネットの情報を見ながら構築した。

のちに、QuickDNSやEudora Internet Mail Serverは自宅サーバでもお世話になっている。

このころエヴァンゲリオンというアニメがが映画をするということで再度 盛り上がっていて、48時間ぶっ通しチャットをして、最後、痙攣をしながら寝たのを覚えている。エヴァンゲリオンのファンはパソコンに詳しいものが多かっ たせいか、チャットのソフトを作ったり、チューニングしたりするつわものたちとも知り合いになった。オフ会にもいって映画の話やパソコンの話をしても盛り 上がってた。

1995年からインターネットを使いだして、手に入れるのが困難だった世界中の情報が、即時に手に入るようになった。しかし、日々、目にする情報は YahooがGoogleに検索を明け渡して以降、Googleに順番を決められた偏向性のある情報ばかり。普通に使えばあまたある情報の内のほんの一握りの情報しか触れることはないのであろう。

当時は検索で探すよりも、インターネット雑誌で紹介されているページを見ることの方が多かった。そのため、ホームページを作りだすきっかけは、まだまだ不便な検索エンジンを補完する意味合いもあって、お気に入り(ブックマーク)的な備忘録な意味合いと、必要な情報が散らばってたので、自分のまとめ的な意味合いが強かった。

そうやってホームページの作り方がわかってくるとやはり、趣向の違うものが作りたくなる。学科のホームページであれば何とか作って許可ももらえそうということで、ホームページを載せるところであるサーバを作ることから始まった。

学科の公式ホームページと各研究室の紹介ページという体裁で、構築作業を開始して、ウェブサイトの骨格が出来た時点で、ドメインを割り当てもらった。

当時はフレーム割形式でページ作られたホームページが多くそれに倣った。のちにテーブル形式に変えるが、ページを追加するたびにリンクを書き換える必要があり、リンクチェックが結構手間であった。

ホームページを作るというのは情報を発信するための道具であり、いろいろなツール が存在する。

大学でサーバを作っていたころは、HTMLエディタもろくなものがなかったので、ほとんど手打ち。のちにNetscapeのエディタが出てくるが、現在のホームページ制作ソフトのようなページ連携の考えはなく、1ページづつ作って自分でリンクを修正するようなものだった。このように、初期のホームページ制作では、Netscapeの付属エディタや、MicrosoftのFront Pageなどを使うことが多かった。その後、ウェブ制作会社では王道のDreamweaverを用いつつも、でも結局はメモ帳で頑張るなんてことをしてきた。

ホームページを作る上で一番困るのが、1ページを追 加すればすべてのページのメニューを調整しなければならないことである。一人で作っているときには問題ないのだが、複数の人間で、特に別のパソコンや、多拠点で作っていると、最新版がどれになっているのかがわからなくなっていく。

そんな問題を解決する方法を模索していて、CMS:コンテンツマネージメントシステムというので出会ったのである。今でいうクラウドみたいなものだ。クラウドなんて新しい言葉を使っているが、結局のところASPと呼ばれてた、サーバアプリケーションなのだと思うのだが。ファッションの言葉もそうだが、なんか目新しく感じさせるのが好きだよなあ。

Dreamweaverや、初心者に人気の?ホームページビルダー(なぜかIBM製)などはパソコン上で作成するため、複数の人間が、多拠点からホームページをメンテナンスするには向かない。なので、ホームページ制作会社にホームページの制作を頼むと、一字一句直すのもホームページ屋まかせになり、きれいけど、情報を発信したい人は結局のところ、ウェブの知識が全く成長せず、ホームページ制作会社におんぶにだっこという状態になってしまった。しかも日本のホームページ制作会社は紙媒体で物事を考える印刷屋が片手間に作っていたからさらにたちが悪い。印刷屋のおかげで、日本人だけ扉ページの考え方や絵文字がいっぱいのページの考え方が定着した。本当に悪癖である。もともとHTMLは論文を掲載するために考案されて、アメリカ人はindex.htmlが示すように最初のページは、インデックス、つまり見出しページで導線なのである。

さて、CMSに話をもどそう。CMSの利点はデザインを気にせずに情報をどんどん追加できることである。プログラマというのはものぐさ人な人ほど腕がいいと感じる。面倒で同じように繰り返すことは、コンピュータにさせればよい。つまりプログラムにすればよいという結構単純明快な発想から、CMSは生まれだしたと考えている。CMSを使うと、だれがやっても、デザインを崩すことなく、あるいは気にすることなく、情報の発信ツールとして使える。「デザインを崩すことなく」というところが実は一番大切である。

Dreamweaverなどのソフトを使うと、どうしても加工箇所の間違いから、デザインが崩れていくということを多々経験した。本当に1文字の過不足で問題が発生するので、直すのが大変なのである。なので、ホームページ制作会社はお客様に作業をさせることを嫌い、口実として使われる。ホームページ屋におんぶにだっこの状態になっている企業も多いだろう。往々にして、5ページから10ページぐらいしかない、10万円~50万円位で作ったホームページで満足している社長は、残念ながら会社を成長させるつもりがありませんと言っているようなものである。

会社のホームページを作ることで、自分の仕事がなくなるのではという営業さんが良くいるが、これは真逆である。中小企業のホームページを作る際に、営業マンが一番遠いところに構えていて、総務に任せっきりである。私から言わせば、営業マンや社長自らが一番頑張らなければならないところである。ホームページを見る人、つまりお客様のニーズや要望を的確にとらえているのは、やはり営業マンや社長自身である。なんで総務に任せっきりなのかがいまいちわからない。中小企業の会社案内の薄っぺらいこと。これは改善の余地ありである。

ところで社員ブログや社長ブログがはやるようになってきたが、これは仕事に繋がるのかよくわからない。私情を見せて仕事が取れるとしたら、昔やってみてやろうと思ってお客がのってこなかった盆栽ブログのような高尚な趣味だろうと思う。でもそれも情報が氾濫しすぎて意味をなさないかもしれない。

CMSの利点は、まぁ今のご時世WORD位は使えると思うが、それよりも簡単な「メモ帳」で文字が打てれば十分である。その程度で十分に情報発信ができるということだ。